EPISODE 01

出会いと始まり

ASH JOURNEY

「お前は死ぬなよ」

 それが、少女にかけた最初の言葉だった。

 世界には表に出ない仕事がある。
 国家にも警察にも属さない暗殺組織。
 依頼を受け、標的を消し、その痕跡すら残さない。

 俺は、その組織に所属する一人だった。

   「今日からそいつがお前のバディだ」
 くい、と俺を呼び出したボスは隣に立つ少女を顎で差す。
 少女は華奢で、いかにも普通の女学生だった。
 青白い肌に着せているのは、白のワイシャツ、黒いネクタイ。そこまでは俺と同じだ。違うのは黒のジャンパースカートを上に着用していることだった。
 あまりの普通の女学生ぶりだったので
 「使えるんですか、こいつ」
 思わずボスに楯突いてしまっった。
 「なかなかやるよ。基本は仕込んである」
 それがボスの答えだった。
 
 「蠍アスハです。よろしくおねがいします」
 「…宮薙だ。よろしく」
 ボスの部屋から続く廊下でぎこちない自己紹介をかわす。コツコツと革靴がリノリウムの床を小気味よくノックする。
 しばらくの沈黙。それから口を開いたのは俺だった。
 「…お前は死ぬなよ。もう死ぬバディは見たくない」
 すると、アスハはニコッとどこか不気味な微笑みで返した。
 「私は死にませんよ。宮薙さん」
 どこか不釣り合いな妖艶な笑み。背筋に冷や汗が走った。
 
 「じゃあ、私はこれで」
 アスハは、俺の隣の部屋だった。
 元々は俺の死んだバディが使っていた部屋。
 本当にこの組織ってのは入れ替わりが激しい。
 俺は自室に戻り、PCを立ち上げる。しばらくして、組織のクラウドデータをハックした。
 画面に映るのは先ほど話したばかりの新人バディ、アスハの個人データだ。にっこりと微笑む証明写真と共に、身長、体重、などの基本データが羅列される。
 下にスクロールしていくと、とある情報が目に止まった。
 ──蠍アスハはXX年XX月XX日、12歳の時両親を敵対組織に暗殺される。後に弊組織にて保護。アサシンの訓練を受ける。
 「……」
 世界は残酷だ。
 自分自身、孤児として育った経験により世界の残酷さには気がついていたはずだが、普通の学生として楽しく過ごしていた矢先の世界の暗さには目がやられただろう。
 13歳か──。
 俺ははあと目元を覆う。
 思春期の子供をバディにさせるなんて、ボスの考えはどうなっているんだろう。
 所詮、組織において俺も少女も捨て駒だ。
 使えるなら使って捨てる。
 そんな世界に俺たちは生きている。
 
 「任務だ。出るぞ」
 アスハの部屋をノックし、声を掛ける。しばらくしてからガチャリとドアが開いた。
 「なんですかこんな夜中に…夜這いですか?」
 寝ぼけ眼にワンピース型のパジャマ姿で出で立つアスハにおれは苛立ちを覚える。
 「時間は通達されていたはずだろ。寝ぼけてないでさっさと支度しろ。3分待つ」
 「3分じゃあメイクできな──」
 寝ぼけたことを抜かすアスハを無視し、ドアを閉めた。
 これから人を殺しに行くってのに呑気なことを抜かすな。これは仕事なんだ。トントンと床を靴で鳴らしながら3分待つと、時間きっかりアスハはドアを開けた。
 「お待たせしました。宮薙さん」
 「…もっと動きやすい服は無いのか」
 アスハの服装は先日ボスの紹介に預かった時と同じ黒のジャンパースカートの制服だった。
 「黒い服がこれしかないんですよ〜」
 まだ眠そうな目をこすりながら俺の横に並んだ。
 身長差がありすぎる。本当に使えるのか、こいつ。
 そんなことを思いながら俺は廊下を歩くのだった。

   深夜、天気は雨。「絶好の暗殺日和ですね」なんてアスハの戯言を聞き流しながら車を出す。
 組織から下された二人の初任務。ターゲットは、裏社会の金を横領して武装私兵を囲っている悪徳実業家だ。
 静かな雨の音と小さなカーラジオが鳴り響く車内。ふと助手席を見るとアスハは私物と思われるスクールバックからいちごミルクのパックをとりだし、ごくごくと飲んでいた。
 「あのなあ…これから任務だってのに緊張感というものはないのか?」
 「宮薙さんがいるならだいじょーぶです。組織の中でも腕はピカイチだって聞きましたし。それにお仕事の前は糖分補給しなくちゃ。宮薙さんも飲みます?」
 アスハから向けられたストローを断りながら、俺はため息をつく。
 …やっぱり子供だ。俺が死なせないように立ち回るしかない。
 若干痛くなりつつある胃をさすりながら、ターゲットの潜む屋敷まで車を走らせた。
 
 屋敷に着いた後は、いつも通りの仕事をこなした。
 監視カメラの死角を突き、俺たちは鮮やかに敷地内へ潜入する。
 見張りの私兵の背後に音もなく忍び寄るも、頸動脈を締め上げて静かに無力化。
 「いいか、俺の後ろから離れるな。指示があるまで絶対に動くなよ」
 背後のアスハを振り返ると、彼女は両手を小さく叩いて   
 「すごーい、さすが宮薙さん!」と、まるで手品でも見たかのような軽い調子でついてきている。俺の焦燥感は増していくばかりだった。
 
 ターゲットの書斎の手前。突如、予定にない巡回ルートの私兵3名と鉢合わせてしまった。その上相手はサブマシンガンを構えている。
 「チッ、一回引くぞ……!」
 俺はアスハの腕を引いて物陰に飛び込もうとした瞬間、ずるり、と彼女の手首が吸い込まれるように抜ける。
「あ、いいですよ宮薙さん。めんどくさいですし、私がやります」
 引き留める俺の声より早く、アスハが楽しそうに一歩前に踏み出す。その瞬間、彼女の雰囲気がガラリと変わる。廊下の常夜灯を反射した彼女の瞳から、完全に光が消えていた。
 
 銃撃の轟音。しかしアスハは、弾道をあらかじめ知っていたかのような異常なステップと身のこなしで、弾幕の間をすり抜けていく。
 ジャンパースカートのポケットから彼女が取り出したのは、暗殺用の特殊なナイフ……ではなく、ごく普通の、どこにでも売っている「カッターナイフ」だった。
 カチカチカチ、と小気味いい金属音が響く。
「あははっ! よけられないよ?」
 少女特有の高めの声で笑いながら、私兵の懐に潜り込む。カッターの刃が、恐ろしい速度と正確さで男たちの手首の腱、そして喉元を深い確度で切り裂いていく。
 飛び散る鮮血。男たちが恐怖の悲鳴をあげるたび、アスハは「いい声!」と本当に嬉しそうに目を細めた。
 あっという間の惨劇。最後に、書斎から這い出てきたターゲットの心臓を、カッターの刃が折れるほどの力で一突きにした。

 静まり返った廊下。
白いワイシャツと黒いジャンパースカートを赤く染めたアスハが、ふう、と満足げなため息をついて振り返る。
カッターの刃をパキッと一枚折り、血を払いながら、彼女は俺にににっこりと、あの廊下で見せた「不気味な微笑み」を向けた。
 「お待たせしました、宮薙さん。……私、使えそうですか?」
 俺は、引きつりそうになる頬を必死に抑え、ただ戦慄していた。
 ボス……『基本は仕込んである』って、こういう意味かよ。こいつ、ネジが何本もぶっ飛んでやがる……
 こいつはただの少女ではなかった。『狂犬』と言ったほうが相応しいだろう。
 『狂犬』はまだ不気味な笑顔を讃えながら宮薙の答えを待っていた。
 「…よくやった。お前のことは認める…」
 高鳴る心臓を鎮めながら、俺はそう答えた。
 俺はまだその時目の前の少女が何者なのか理解できていなかった。