EPISODE 02

日常と異変

ASH JOURNEY

「宮薙さーん!おはようございます♪」
 二人での初任務を終えた翌朝、ノックも無しにアスハが俺の部屋へ転がり込んできた。
 まだ目も覚めきってない中、目に飛び込んできたのはフリフリのワンピースを着用したアスハだった。
 「初任務遂行お祝いに、朝ごはん作ってあげます♪」
 「ちょっと待て、いきなりなんなんだ」
 パジャマ姿の俺を横目にアスハは部屋のキッチンへ進んでいく。
 「いいから宮薙さんは顔洗って歯磨いててください。あ、ヒゲもそってくださいね」
 「……」
 まだ寝癖もついているであろう頭を掻きむしりながら、もうどうにでもなれと心の中でつぶやいた。
 
 アスハの言う通り、朝の支度を済ませ部屋に戻ると、アスハは鼻歌を歌いながらキッチンに立っている。
 なにやら甘い匂いがするのでアスハの小さい背中越しにフライパンをのぞくと、パンケーキを焼いているようだった。
 「ちょっと焼きすぎなんじゃないか」
 「うるさいですね〜。宮薙さんは黙って見ていてくださいよ」
 明らかに焼きすぎのパンケーキを横目に、俺はソファに座ることにした。まかせていて大丈夫なのか、というかなぜこんなことになっているのか。ぐるぐる考えていても答えは出ない。しばらくしてから、アスハの明るい声がキッチンから聞こえた。
 「宮薙さん〜できましたよ!」
 キッチンから登場したものは、明らかに焦げ目がついたパンケーキ(ホイップ付き)とまたまた焦げ目がついたベーコンに明らかに色の変なスープ。そして比較的状態の良いサラダ。
 いつもの経口栄養食品ですましている朝食と比べれば豪華なものだが、なかなか手を伸ばしづらい。
 「何ぼーっとしてるんですか?暖かいうちに食べてくださいね」
 「お、おう…」
 せっかくアスハが作ってくれた食事なので気は進まないがカトラリーを手に取ることにした。
 「あ、ブロッコリー食べられないので宮薙さんにあげます」
 「こいつ…」
 
 今日は任務の通達がないので完全オフの日だった。
 アスハが朝転がり込んできたのは予想外だったが。
 食堂にコーヒーを買いに行くため、部屋を出るとアスハもとことこと後をついてきた。「何の用だ」と尋ねても、「バディですから一緒にいるのは当然です!」と答えるだけだった。
 食堂に着くと、同僚の男が話しかけてきた。
 「よう、宮薙。その嬢ちゃんが新しいバディか?ずいぶんと可愛らしいじゃないか」
 それを聞いて、アスハはふふんと胸を逸らした。
 「そうだ、宮薙──」
 男が俺に肩を回すと、アスハの様子が不穏になった。
 あの時と同じ、目にハイライトが消えていた。
 「私のバディなんですけど」
 カチカチ…とカッターの不気味な音がする。
 「やめろ!アスハ。何をする気だ」
 「だって…」
 「だってじゃない。いますぐそれを仕舞うんだ」
 「はい…」
 俺の言葉にしゅんと顔をふせるアスハ。
 「とんでもないバディだな…」
 男はそっと俺に耳打ちした。
 そうだ、この少女はネジの飛んだ狂犬だった。
 それを思い出し、またもや昨晩のように胃をさするのだった。
 
 任務の通達は翌日午後に行われた。二人での任務は二回目だ。
 今日は晴天。深夜の空は星が瞬いていて、綺麗だった。
 いつも通り車を走らせる。
 今回の任務は敵対組織とつながる「武器ブローカー」。潜伏先は廃墟と化した倉庫街だ。
 俺は前回の反省を活かし、事前に綿密な作戦を立ててアスハに叩き込むことにした。手作りのマップや、侵入経路、退路のAプラン・Bプランをアスハに説明する。
 しかしアスハは、やっぱりいちごミルクを飲みながら「へー」「ほー」と適当な相槌をうつばかりだ。
 「おい、聞いてるのか。お前は突っ込みすぎる。今回は敵も武装に慣れている。一歩間違えれば死ぬぞ」
  「大丈夫ですよー。私がカチカチッてやれば、みんなイチコロですって」
「前のバディもそうやって慢心して死んだんだ」と言いかけたが言葉を呑みこんだ。
 
 俺のプランでは、裏口のロックを解除してスナイパーの死角から静かに潜入するはずだった。
 しかし、入り口に配置された見張りの数を見たアスハは、めんどくさそうに溜息をつく。
 「うーん、回り込むの時間かかりそうですね。……宮薙さん、ちょっと行ってきます!」
 「おい待て、アスハ──ッ!?」
 俺の制止を無視し、アスハはカッターナイフの刃をカチカチと響かせながら、堂々と正面から歩いていってしまう。当然、見張りに見つかり、怒号が響く。
 銃撃戦が始まった。アスハは相変わらず人間離れした動きで敵を翻弄するが、俺の目から見ると、今回の彼女の動きは「狂気」そのものだった。
 アスハは避ければいい攻撃を、あえて避けない。敵が放ったナイフや銃弾に対し、あえて致命傷を外した腕や肩で受ける。そして、相手が「当たった!」と油断して動きを止めたコンマ数秒の隙を突き、笑顔で喉元をカッターで切り裂く。
それは「肉を切らせて骨を断つ」どころか、「いつ命のチップが尽きてもおかしくない、自傷を前提とした狂気の戦術」だった。
 こいつ……っ! 自分の命が惜しくないのか!?
俺はプロのプライドもプランも全て投げ捨て、彼女の盾になるために全速力で戦場を駆ける。アスハの死角から放たれる敵の銃弾を自分の銃で弾き、彼女に肉薄しようとする敵を力技でねじ伏せる。俺にとっては心臓が止まるような時間の連続だった。


 なんとかターゲットを仕留め、死体の山の中で戦闘が終了した。
 アスハの頬にはかすり傷、ジャンパースカートの袖は切り裂かれ、じわりと血が滲んでいる。なのに、彼女は痛がる素振りすら見せず、けろっとしている。
俺は激昂し、アスハの肩を掴んで怒鳴りつける。
 「お前、ふざけるな! なんだあの戦い方は! 死ぬなと言ったはずだろ! 自分の身体を何だと思ってる!」
 本気で怒り、そして自分を心配して息を荒くしている俺を見て、アスハは初めて見るような、きょとんとした表情を浮かべたのだった。
それから、ふにゃりと嬉しそうに眉を下げて笑った。
 「……だって、宮薙さんが絶対に後ろから助けてくれるって、分かってましたから。……ダメでした?」
 悪びれもせず、むしろ「飼い主に褒められたい子犬」のような純粋な瞳で言われ、俺は拳を握りしめたまま、それ以上怒声をあげられなくなっていた。
 車を運転しながら、俺は助手席のアスハをチラチラと見る。
 アスハは疲れたのか、いちごミルクを半分残したまま助手席でコックリコックリと船を漕いでいる。
 俺はため息をつき、ダッシュボードから組織支給の救急キットを取り出す。赤信号の隙に、彼女の頬のかすり傷に無言で消毒綿を当ててやる。
 「う……ん、宮薙さぁん……ありがと、ございます……」
寝言のようにつぶやく彼女を見て、俺は胃を押さえる。
 クソ、なんで俺がこんなガキの面倒を……。だが、あいつのあの戦い方、何かおかしい。まるで『恐怖』や『痛覚』のブレーキが最初から壊れているみたいだ──
俺の中に、彼女の過去への強烈な違和感が芽生えるのだった。

 
 任務の翌日の朝は静かだ。先日のようにアスハに叩き起こされることもなかった。
 朝食に用意していたいつもの経口栄養食品のストックがなかったのでしぶしぶ朝の支度を済ませ、食堂へ向かうことにした。
 食堂に着くと、クロワッサンを頬張るアスハと出くわした。
 「おはよーございます。宮薙さん」
 「おう。おはよう」
 昨日の狂気じみた面影は一切なく、穏やかな笑みをアスハは浮かべている。
 彼女の対角線上の席に座ると、なぜかアスハは隣にクロワッサンの乗ったトレーごと移動してきた。
 「なんだよ」
 そう文句を言うと
 「バディですから」
 ふふんとアスハは胸をそらして答えた。
 俺は仕方なく彼女の隣で朝食を食べることにする。
 久々にきちんとした朝食をとると、なんだか健康になった気がする。膨れた腹に手を当て、満足感に浸っているとアスハは突拍子もないことを言い出した。
 「宮薙さん、デートしませんか?」
 思わず水を吹き出しそうになった。
 「はあ?」
 「バディですから」
 三回目の宣言だ。相変わらずアスハの思考が読めない。
 「意味がわからないが、とりあえず俺はあまり馴れ合いはしない主義なんだ。断る」
 「12時に部屋に伺いますね。準備しないと殺します」
 「お前なあ…」
 アスハはニコニコと笑みを浮かべながら食べ終わった食器とトレーを返却口に持っていった。
 
 12時きっかりに、案の定ノックも無しにアスハは部屋に入ってきた。
 「ちゃんと準備しているじゃないですか!ふむふむ。合格です〜!」
 「こんなことで殺されちゃあ、たまったものじゃないからな…」
 俺は任務の時のスーツとは違い、カジュアルな服装に身を包んでいた。アスハのことだからデートとやらを無理やり断って駄々を捏ねられるのも面倒だったからだ。
 「で、どこへ行くんだ」
 俺はジャケットを羽織りながらアスハに問う。
 「駅前のショッピングモールです。お昼ご飯にドーナツ食べたいです」
 ドーナツは昼食に入るのか。アスハはそんなことどうでもいいのだろう、アスハは相変わらず少女趣味なワンピースを着用している。胸元の大きなリボンが揺れている。
 あまりに浮かれているアスハに俺はため息をつく。
 「お前な、一応言っておくが、俺たちは暗殺者だぞ。一般人に紛れてうろつくなんて……」
 「だからこそ、普通の女の子と普通の男の人のフリをするんですっ。ほら、行きましょう!」
 アスハは俺の手をとり部屋を飛び出す。
 その表情はどこにでもいる少女そのものだった。
 
 車で向かったのは、駅前にあるショッピングモールだった。着くや否や、アスハは目当てのクリスピードーナツというドーナツショップへ俺を引きずりこむ。
 店に並ぶのはカラフルに彩られたドーナツたち。雪だるまやトナカイを模したドーナツまである。
 「うーん、どれにするか迷いますねえ」
 アスハは目を輝かせながらドーナツを見定める。
 「チョコレートドーナツと雪だるまドーナツとストロベリードーナツを三つずつにします!」
 「食べ過ぎだ、馬鹿」
 俺はアスハの頭をぽかんと叩く。「なんでですかー余裕ですよ、これくらい」とアスハは文句を垂れていた。
 結局、アスハはカラフルなドーナツを三つとホットココア。俺はシンプルなドーナツ二つにホットコーヒーを注文した。
 席につくと、アスハはさっそく「いただきます」といいながらカラフルなドーナツにかぶりついた。
 「んー!美味しいです!見た目の可愛さも味も満点!幸せです〜!」
 「よかったな」
 俺はそう言い、コーヒーに口をつけた。
 「宮薙さん、それだけで足りるんですか?」
 「お前が食べすぎなんだよ」
 「これでも我慢したほうです。誰かさんのせいで」
 アスハはぷくっと頬を膨らませた。俺はそれは無視してドーナツを頬張る。控えめな甘さが口いっぱいに広がり、幸福感が脳に染み渡る。
 たまにはこういうのもいいかもな。そう俺は思った。
 「宮薙さん、ニヤケすぎ。実は甘いもの好きですね?」
 「うるさい。黙れ」
 こほんと咳払いをして顔の具合を確かめるように手で口を覆う。
 「意外と可愛いとこあるじゃないですか〜!もっと見せてくださいよ!」
 「やめろ!」
 アスハは口に当てた俺の手をのけようと腕を伸ばしてきた。しかしそこでとある視線に気がついた。俺たちのテーブルに寄ってきた店員だ。トレーに小さくドーナツを切り刻んで爪楊枝をさしたものを持っていた。
 「お話中失礼します〜!只今新作ドーナツの試食を行なっていて…それにしても仲が良いんですね!ご兄妹ですか?…もしかしてカップルさんかな?」
 「違う」
 「違います。バ──」
 バディ、と言いかけるアスハの口を手で塞ぐ。
 「よろしければどうぞ!」と差し出す店員から新作ドーナツとやらのかけらを受け取った。
 こいつといると碌なことがない。そう思いながら残りのドーナツを頬張った。
 
 「どっちが似合いますか?こっちですかね〜」
 クリスピードーナツを後にした俺たちは、少女趣味な洋服屋に来ていた。正直、こんなところに来たのは初めてで居心地が悪い。アスハはにこやかな店員と共に服に悩んでいる。
 「ねえ、宮薙さんってば!聞いてますか?」
 「任──仕事で使うんだろ。もっとシンプルなほうが良いんじゃないか」
 「わかってないですねえ。このふりふりがやる気をださせるんですよ」
 アスハは任務用の服が欲しいとこの洋服屋にやってきた。ずらりと並んだ洋服たちは、黒を基調としているものの、ふりふりの装飾や大きなリボンが縫い付けられていて、どう見ても任務向きではないことは明らかだ。
 「スーツでいいんじゃないか。みんなそうしてるし」
 「うるさいですねえ。ちょっと試着してきます」
 そう言うと、アスハは試着室にこもってしまった。
 店の新作ワンピースだという同じくふりふりな服に身を包まれた若い女の店員と突如二人きりになってしまう。
 ふいに訪れた沈黙、またもや「職場の同期さんですか〜?仲が良いんですね!もしかして彼氏さんですか?」などと抜かしやがったのではっきり「違う」と断っておいた。
 しばらくして、試着室からアスハが顔を出してきた。
 「私、天才かもしれません。なんでも似合っちゃいます」
 大胆に試着室のカーテンが開かれた。
 そこに立っていたのは、黒のフリルが施されたワンピース。肩が露出していて、首元にはチョーカーのようにリボンが引っ掛けられている。
 正直、とても似合っていた。銀髪の髪と相まって、街では誰もが振り向く美少女に見えるだろう。夜な夜な人を殺す職業についているとは知らずに──。
 「お似合いです〜!とても素敵です!」
 アスハは店員の言葉にへらへらと笑っている。
 「じゃあこれとこれ。これもお願いします。カードで」
 アスハは大量のワンピースを買い、満足そうに会計へ進んでいた。その服は経費で落ちるのか…?考えると頭が痛くなりそうなので俺は考えるのをやめた。
 
 それから俺はショッピングモールの中をアスハに半ば連れ回されるように見て回った。早速新作のワンピースを着用したアスハは、雑貨屋に飛びつき、「これかわいい!」と黒のうさぎのキーホルダーを眺めていた。そして「お揃いにしましょう!」と言い勝手にレジに並んでいた。当たり前のように大量の服が入ったショッパーを持たされていた俺は、もう何も言うのをやめた。
 それからコスメショップに寄ったり、インテリア雑貨店を覗いたり。普段の殺伐とした日常とは違う、賑やかな一日だった。帰る前に腹ごしらえと称してアスハはクレープを食べていた。
 「宮薙さんも食べます?」
 「いや、いい」
 「そうですか」
 クレープを差し出すアスハに断りを入れる。そんなことをしていたらまた変な勘違いをされるだろう。
 隣で大きな口を開けながらクレープを頬張るアスハ。
 ──こうしていれば、普通の少女なんだがな。
 こいつが銃もカッターも持たず、普通の人生を送れていたら、こうして笑っていられたんだろうかと、少しだけ切ない情が芽生えた。
 「やっぱりもらえるか、一口」
 なんて、柄にもないこと言った瞬間、アスハが崩れ落ちた。
 「アスハ!?大丈夫か!?」
 アスハのそばに駆け寄り、肩を揺する。アスハの息は荒く、冷や汗をかいていた。しかし、次の瞬間に浮かんだアスハの表情を見て、俺は言葉を失った。
 さっきまであれほど豊かだった彼女の表情が消え失せ、瞳からハイライトが消え、まるで精巧に作られた人形か、機械のような無機質な顔になっていた。
 そしてアスハの口から漏れたのは、少女のそれとは到底思えない、冷徹で抑揚のない合成音声のような呟きだった。
 「……警告。精神防衛上限を突破。脳内物質の異常分泌を確認。思考を戦闘最適化モードへ強制固定──」
 「……アスハ? お前、何を言って──」
 俺が再び激しく彼女の肩を揺さぶると、数秒の沈黙の後、アスハは「ハッ」と息を吹き返したように大きく瞬きをする。
 その瞳には、いつもの光が戻っていた。
 「え? あ、あれ……宮薙さん? 私、どうしちゃったんでしょう。ちょっと立ちくらみ、ですかね。えへへ、疲れちゃったのかな」
 いつもの無邪気な笑顔でごまかそうとするアスハ。だが、冷や汗を流している彼女の手は、小刻みに震えていた。
 俺は、引きつる表情を隠しながら
 「……そうか。なら、もう帰るぞ」
 とだけ告げた。
 車での帰り道、助手席で今度はぐったりと眠るアスハの横顔を見つめながら、俺の疑惑は確信に変わる。
 立ちくらみなんかじゃない。あの呟きは、一体何だ……? あいつの身体の中に、ボスは何を仕込んだ……?
   組織の自室に戻った夜。昼間のアスハの「ロボットのような呟き」が頭から離れない俺は、再びPCに向かった。
 前回のハッキングで見つけた個人データよりも、さらに深い、組織の閲覧禁止階層(ブラックボックス)へ強引にアクセスを試みる。
 ハッキングが成功し、画面に表示されたのは「実験体・蠍アスハに関する臨床レポート」だった。
 そこには、彼女が12歳で保護された後、ボス主導のもとで「薬物投与」と「精神暗示」によって、恐怖心や痛覚、自己防衛の本能を人為的に破壊されたという凄惨な記録が残されていた。
 彼女の「狂気」も「強さ」も、すべて組織によって都合よく改造された結果だったのだ。
 「嘘だろ…」
 さらにレポートの最下部、ボスの電子サインの横に書かれた「追記」を見て、俺は息を呑む。
 『精神暗示の崩壊が始まった場合、実験体は敵味方の区別を失い暴走する。その際は、現バディ(宮薙)の手によって速やかに殺処分すること』